2010年謹賀新年、そしてお雑煮ばなし
みなさま、あけましておめでとうございます。
旧年中はいろいろお世話になりました。
みなさまにとって今年が実りの多き1年になりますように。
さて、いまは名古屋から大阪に向かう列車のなかでこの文章を書いています。ポメラでテキストを書き、ケータイから更新する予定です。
ケータイ、ふだんは全然使わないヒトなので、かばんにいれっぱなしで気がついたらバッテリーが切れてる、なんて珍しくありません。今日も使おうと思ってかばんの中からひさしぶりにとりだしてみたらバッテリー残量1。しょうがないので、駅の売店で充電器を買いました。乾電池でチャージができるなんて、便利なグッズがあるんですねぇ(ケータイ使わないからそういうことも知らない)。
今朝は雪が積もっていました。名古屋は積雪2センチですって。朝もちらちら降っていましたがだんだん晴れてきました。晴れているのに、ときおり雪が舞います。風に乗って、降ってくるのかなぁ。
関西方面は全然降らなかったのかしら。外をみている限りでは、雪の気配はありません。雪景色のお正月もいいかしら、と思っていたけれど、積もってないならそれはそれで交通機関の乱れを心配する必要がないので助かります。
列車はお正月だからといって、混んでるわけでもないようです。ふだんの週末とかわらない感じ。お伊勢さんに向かう列車は毎年、混むけどね。
みなさん、もうお雑煮は召し上がりましたでしょうか。わたしは家人の実家(ここらでは「在所」というらしい)でいただいてきました。お雑煮って地域によって、家庭によって違うのがいいですよね。
家人の実家は名古屋市内。だしは煮干し・昆布・干しシイタケ。しょうゆ仕立て。角餅で、野菜はもち菜と呼ばれる菜っぱがはいるだけ。義母いわく「尾張は、こういうときには逆に質素なのよ」とのこと。いろいろ入れるから雑煮と言うのだろうけれど。でも、わたしの実家もシンプルなお雑煮なので全然違和感がありません。
母が作るお雑煮は父の家の流儀なのだろうけれど、カツオだしに丸もち、すまし仕立て、以上。餅以外なにも入らない、というレシピです。
母の実家は「小豆雑煮」なのだそうですが、わたしは冬に祖父母の家に行ったことがないので食べたことはありません。「ぜんざいみたいなもの?」と尋ねると、母は、甘くないからちょっと違うかなぁ、とのこと。うーむ、想像がつかない。祖母が生きてるうちに作ってもらえばよかった。来年、母にリクエストしてみようかしら。
ちなみに奈良は白味噌仕立てで、里いもやら何やらいろいろ入るそうです。それって具だくさんのお味噌汁にお餅がはいっているようなものかなぁと想像しているのだけれど。奈良在住の姉に明日会うからきいてみようかな。
イクバルの闘い―世界一勇気ある少年
フランチェスコ ダダモ (著), Francesco D’Adamo (原著), 荒瀬 ゆみこ (翻訳)
わたし、なんでこんなしんどい本を選んでしまうのか。辛い話だろうなと思いながらも、手にとってしまう。
パキスタンには、借金のカタにどれいのように強制労働させられている子どもたちが、推定で700万人いるそうです(ちなみに名古屋市の人口は250万人。それを思うと700万人がどれだけ多いか想像がつく)。
そして、子どもたちを解放しようとする人たちがいる一方、それを妨害しようとする人たちもいる。
過去の話じゃなくて、いまこの瞬間も。
そして、それを知った人たちはどうすればいいのかなぁ。ものの値段って何だろう、って思ってしまう。妥当な値段でものを買うことはいちばんの社会貢献だと思う。フェアトレードとかね。おなじ買うなら、ちゃんと生産者に正当な利益が還元されるような流通のしくみのものを買いたいなぁ、とかとか。
しんどいなぁ、生きることって。
今はちょっと打ちのめされているけれど、明日の朝にはきっと元気になっているから。
この地球上に生きとし生けるものすべてに明日が、そして来年が、いい日・いい年でありますように。そしてつよくなれますように、わたしも。
ムシのいい願いかもしれないけれど、心からそう願わずにはいられない。
この本はイタリアの作家さんが、イクバル・マシィーに関する新聞記事を読んだことがきっかけで書いたのだそうです。イクバルが新聞記事になったのは1995年の春。
それから15年近くがたって、ようやくわたしの手元に届いたイクバルの物語。ここからさらに多くの人に伝わっていきますように。
原書:Storia di Iqbal by Francesco D'Adamo 2001
英訳版:Iqbal (ISBN=9781416903291)
マタビアは貝のおまもり
マリオン・ブルーム (著), 野坂 悦子 (翻訳)
今夜は、両親が2人揃って外出。いつもベビーシッターとして来てくれていたウェルナーは最近、うちに遊びに来てくれなくなった。今夜はわたしが妹と弟といっしょに留守番をしなくてはいけない。こわくなんかない。眠ってしまえばいいんだから。でもでも不安。いろんなことが頭に浮かんでは消える。。。
留守番しているシルビアの心にうかぶさまざまなこと、「こわくない」といいながら普段ならやらないようなことをいろいろやってしまう。心をよぎるのは、両親の故郷インドネシアの話、オランダ人の友だちのこと、そしてウェルナーにもらったマタビアのこと。
人の内面は宇宙だなぁ。心のなかはその人にしかわからない。そこは広くて深くて、いろいろな想いが輝いています。
2009年の語数
2009年もあと1日となりました。太平洋側の当地ではお天気はいいのですが、昨日からぐんぐん気温が下がって、風がびゅーびゅー吹いています。外に出たくないよ~。
さて、昨日、3ヶ月ぶりにExcelの語数表に記録をつけました。最近は日本語の本ばかり読んでいるので、洋書の記録つけはあっという間に終わってしまいます。
2009年(今日12/31は除外)に読了した本のうち、記録のあるものは、洋書81冊、和書176冊、合計257冊でした。週に5冊くらいの計算になるのかな。冊数比較だと和書が洋書の2倍だけど、読むスピードが全然ちがうから。読書時間そのものは、和書・洋書どちらも同じくらいか、やや洋書のほうが多いんじゃないかな(よくわからないけど)。
洋書81冊の合計語数は195万語でした。年間200万語のペースはことしも変化なかったわけですね。
洋書読書スピードを1分間100語とすると(わたしは読むのが早くないのでその程度)、200万語読むには333時間かかる。平均しちゃうと1日あたり1時間弱。まあ、そんなものかなぁ。実際にはがーっと読む日もあればぜんぜん読まない日が何日も続いたりとけっこう偏っているけれど。
はじめて作ったのですが、けっこう面白いものですね。
タテは語数です。横は読了順。
1冊10万語を越すようなペーパーバックをほとんど読んでない。児童書を読んでることが多いので5000~5万語の本が大半かな。
体感としてはここ数年、語数分布も変わってないと思う(去年、記録データをなくしちゃったから同様比較ができなくて残念)。
それから予想すると、2010年もこんなふうに読んでいくんだろうなぁ、たぶん。
【追記】
古いデータの一部を発掘したので、多読初期の語数分布を作ってみました。
前半はGR中心でした(購入してたのでなるべく冊数を抑えてキリン読みばっかりしてた)。20万語の本はハリポタ5巻です。
こちらは多読2年めのとちゅうまで。
2004年1月から9月末までです。データがあるのはここまで。
2009年と比べると、やはり語数の少ない本の比率が違いますねぇ。
ポメラカバーを自作
カバーをつけたままで使えます。
左側のゴムでパチンととめちゃいます。
まんなかのゴムの1本をポメラのキーボードとモニターの間のすきまにとおして、装着しています。
クッション性はいまいちなので落としたときの破損防止にはあんまり役に立たなさそうですが、カバーにはなるので、キズと指紋防止には役だつ、、、かな?
手帳の『トラベラーズノート』のカバーと似たような構造です。
革に穴をあけて、ゴムをとおしただけのシンプルな構造なので、制作時間はほんの20分ほど。簡単につくれちゃいます。
ラウラの日記
ロベルト ピウミーニ (著), Roberto Piumini (原著), よしとみ あや (翻訳)
翻訳ものの児童書を選ぶときには、原書が英語以外のものが多くなります。英語の場合は「同じ読むなら原書で読みたいな」と思ってしまうから、あとまわしにしちゃうのよね(実際には日本語で読んでしまったほうが時間がかからずにすむんだけど)。
英語以外なら、どうせ原書で読めないから日本語で読んじゃえ!と。
ということで、これはイタリアの作家さんの本。
ラウラという小学校4年生の女の子の日記です。モロッコからやってきたアムという級友と彼のおじいさんのお話。
そうか、イタリアならモロッコってすぐ近くだもんね。こういう出会いもあるわけか。 移民してきた人たちがこの国で生活をする。現実はいろいろあるんだろうけれど。
地図でみて距離感はわかっているつもりだけど、こんなふうにお話で読むとイメージがさらにつかめます。









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